2007年

ーーー3/6ーーー バンドソーの目立て

 先週バンドソーの刃の目立てをした。そのことについて書いてみよう。

 バンドソーは、日本語では帯鋸盤と言う。帯状の刃の両端をつなげてリングになったものが、上下二つの車輪の間でグルグル回り、垂直に下降する部分で木材を切るしくみである(右の写真は、バンドソーから刃を取り外しているところ)。

 製材所で使う製材機はこれの巨大なもので、大きな丸太を片っ端から板に挽く。私の工房にあるものは、製材所のそれとは比べるまでもないが、木工所で使うものとしては十分な大きさだと思う。製材所の帯鋸盤が直線切り一辺倒なのに対して、私のは細い刃を取り付けて曲線切りが可能である。けっこう曲線や曲面を使う私の仕事には、無くてはならない機械と言える。

 細い刃は目も細かい。その目立てを研磨業者に頼んでも、作業が面倒だという理由で嫌がられる。それで仕方なく自分でやっている。

 以前は金工ヤスリを使って研いでいた。刃先の数は10センチ当たり23ケ、全長4.5メートルの刃全体では1035ケになる。それを一つづつ順番に研ぐ。一本仕上げるのに1時間くらいかかったものである。

 その後、研磨業者から教わった方法に変えた。グラインダーを使って研ぐのである。これも手作業だが、ヤスリと比べれば能率が良い。調子が出れば、30分くらいで研ぐことができる。

 左の写真はその方法で研いでいるところ。工房の天井付近に滑車を設け、それにバンドを掛ける。そして、滑車の垂直下方に置いたグラインダーで、一目ごとに手で送って研ぐのである。グラインダーの砥石は、刃先の形に合うものを選んであるので、おおむね同じ形の刃先に揃えることができる。

 研ぐと言ってもほんの一瞬グラインダーに当てるだけ。なかなかデリケートな作業である。両手の指でつまんだ刃を、グラインダーにスッと当てると、チュンと音がして火花が出る。その瞬間に刃を引っ込める。グラインダーの砥石の先が、刃先の谷間にピッタリと合うように当てるのがコツ。作業の精度はスピードとの兼ね合いで、慌てればミスも多くなる。

 この数十分の単調作業は気が滅入る。しかし、研ぎ終えた刃は素晴らしい切れ味となる。その切れ味をあてにして、目のピントが狂うような細かい反復作業が続く。


   

 
 








ーーー3/13ーーー 象眼の小箱

 
先週、安曇野スタイルの展示会が開催された。画像は、そこに出品した小箱。この手のイベントでは、家具が売れることはあまり期待できない。主催者は、お客様が買って帰れるようなものも出してくれと言う。そこで、このような小物も展示することにした。

 これらの小箱の蓋には、象眼でアクセントを付けている。このような加飾(装飾を加える事)を、私は今まで作品に施したことがない。今回初めて作り、人前に曝すこととなった。

 ちなみにこの象眼、色違いの材をはめ込んであるのだが、蓋を貫通して入れてあるので、裏を返しても同じ模様が現れる。蓋を裏返して使うことが前提となっているこの箱には、相応しい仕掛けだと思う。

 こういうワンポイントの加飾に、私は苦手意識を持っていた。技術的うんぬんということよりも、加飾という発想自体に違和感を感じていたのである。このような気持ちの家具作家は、私の回りにも沢山いる。加飾をすることが「わざとらしい」、「ダサイ」、「商業主義的」という印象につながっていて、やる気になれないのである。

 あまり気乗りがしないながら、今回私が加飾にちょっと手を出したのは、最近ある木工の識者から言われたことに感じたからだ。その方は、加飾をする前の同じ小箱を見て「丁寧に作られた良い品物だと思う。しかし作家の作品とは言えない」と感想を述べられた。

 さてこれらの小箱、作って展示したものの、あまり自信が無かった。「この模様が無い方が良い」と言われたらがっかりである。

 会場で隣に藍染めの作家が出品していた。すごく著名な作家だそうで、品物も素晴らしい。その方が私の所に来て、小箱を見た。そして、「この模様でもいいけれど、わたしならこうするわ」と、アイデアを教授して下さった。また、蓋に藍染めの布を張れば素敵になるとの意見も述べられた。

 その方のお話は、たいへん勉強になった。とにかく付加価値を付けなければダメだと、何度も繰り返された。作品の裏にある地味な魅力、作品が生み出されるまでの多くの努力というようなものを、誰もが理解してくれるような国では、もはやない。付加価値を付けることで、作品はようやく振り向いてもらえるのだと。

 その付加価値の付け方にもいろいろあると言う。一番効果的なのは、有名人に買ってもらって宣伝してもらうこと。しかしそれは、なかなかチャンスが無いし、リスクもある。

 作品に手を加えることによって付加価値を上げること。今回私がやったことは的外れではないが、もっと内容を詰めた方が良い。いろいろ研究してみなさいと言われた。

 お話によると、付加価値を付けるというのは、「こうすれば売れる」ではなくて「こうすればお客様に喜んでもらえる」だと。その結果として作品が売れれば、自分も幸せになり、次の創作の励みとなる。

 自然な風合い、ありのままの雰囲気を好む家具作家は、加飾をやろうとしない。しかしそれは、当人の好みを押し通しているだけで、お客が求めるものを意識していないとも言える。

 お客を意識せず、自分のやりたいことだけやっていて、それが仕事と言えるだろうか。それで食べて行ければ幸運だが、世の中それほど甘くは無い。藍染め作家の言い分はそのように理解された。

 その藍染め作家の女性は63歳。幼い頃から重度の身体障害者で、辛酸をなめた人生だったとか。「わたしは大きな苦労を重ねた末に、ようやくいろんな事が分かってきた。それを若い人たちに少しでも役立ててもらえたらと思う」と言って微笑んだ。



ーーー3/20ーーー 時計の修理

 
ある方のブログを見たら、10年使っている家電製品(コーヒーミル)が故障したので、メーカーに修理の可否を問い合わせたら、寿命だからと買い換えを勧められた、という話が出ていた。持ち主は結局自分で故障原因(接触不良)を見つけ、半田付けで直したそうである。

 現代は、「直すより買い替えた方が安上がり」という時代になっている。特に電気製品は、その傾向が強い。昔は、ラジオ屋さんの店先には、中身がむき出しになったラジオが置かれていて、おじさんが半田ごてを使って修理していたものだ。

 電気製品ではないが、こんな経験を思い出した。モノは腕時計。20年以上前に購入したものだが、数年前から動かなくなった。

 町の時計店で見てもらったら、以前にどこかで電池交換をした際に、裏蓋のパッキンがずれていたらしい。そこから水分が侵入して、内部が錆びている。だから修理は不可能と断言された。

 それで諦めて、時計はそのまま放置された。しかし気に入っていたものなので、なんとかしたいという気持ちがよみがえった。

 ダメでもともとの気持ちで、製造元のメーカーに送り、修理を依頼した。メーカーの返事は、かなりダメージが大きいので、ちゃんと直るかどうかは保証できないとのことだった。それでもやってくれとお願いした。有料だが、買った時の価格よりは安い。

 戻って来た時計は、しばらくしたらまた動かなくなった。期限内の再修理は無料とのことで、また送った。修理を終えて戻って来た時計に、コメントが付いていた。できるだけのことはやったが、もうこれ以上の修理は難しいとの見解だった。メーカーとしては、自社の製品ではあるが、匙を投げた様子だった。

 しばらく使ったら、また止まってしまった。そこで再度しつこく、メーカーに送った。時計に添えて、私の思いを伝えるべく、手紙を入れた。

 「取り扱いの不備が原因で壊れたことは分かっている。貴社の製造責任は無いと理解している。しかし、とても気に入っている時計だから、なんとか直して欲しい。貴社の技術力に望みをかけている。でも、どうしても直らないと判断されたら、自分はこの時計を捨てるのがしのびないので、そちらで処分して欲しい」。そんな内容だったと記憶している。

 そのときはずいぶん日数がかかった。メーカーが新たに何をしたのかは分からない。戻って来た時計は、それ以後ずうっと正確に時を刻み続けている。

 先日、その時計の電池交換をした。近所の店は当てにならないので、松本の時計店に持って行った。80歳を越えている風体の老店主は、丁寧な仕草で時計を調べ、電池を入れ替えたあとこう言った「いい時計です。今はこういう良いものが作られなくなりました。大事に使ってあげて下さい」。

 時計のメーカーはシチズン、商品名はクラブ・ラメール。金色で薄型、秒針が別窓になっている、美しい時計である。




ーーー3/27ーーー 焚き火

 先週の土曜日、自宅の庭に放置してあった枯れ枝を、焚き火で燃やした。

 シルバー人材センターに頼んで、庭木の剪定をしてもらったときに出た切り落としである。シルバーさんは、剪定をして、落した枝をまとめてくれるところまではやってくれるが、持って行ってはくれない。それでは庭木剪定の仕事として半分ではないかと思うが、値段が格安だから仕方ない。

 昨年の暮れに切ったものだから、もう4ケ月くらいになる。そろそろ乾いただろう。数日続いた良い天気が、午後には雨になる予報だった。雨が来る前に燃やしてしまおうと、午前9時に作業をスタート。

 かなりの量がある。いっぺんに燃やすのはとうてい無理だ。火が大きくなり過ぎないよう、注意しながら、少しづつ燃やした。周囲に飛び火しないよう、回りの地面には水を撒いた。自宅の庭の焚き火では、一度怖い経験をしたことがある。今回は十分に注意した。

 半分も片付けば良いと思って始めたが、やるうちに欲が出た。結局、全てを燃やすことになった。

 朝は青空が見えていたのに、昼前から曇り空となった。山の稜線も次第に見えなくなり、山肌は空と同じような鈍い灰色に変わっていった。風が吹き下ろして、森がゴーゴーと鳴った。低気圧の接近が予感された。

 色彩を失った風景が、墨絵のような趣きだった。その中でチロチロと燃える焚き火を見ていると、なんだか時間が止まったような、現実の世界から外れてしまったような感覚になった。

 4時間の後、枯れ枝の山は消滅した。じきに雨が降り出しそうな気配だった。それでも家に入る前に、念のため、燃え跡の灰の山にホースで水をかけた。一時激しく煙が上がり、しばらくすると静かになった。真っ白い灰に見えたものは、水を掛けると黒い炭の山であった。その小さな炭の積み重なりが、なんだかとても美しく見えたので、カメラに納めた。
 

      

 真っ黒な色は、付けたものではなく、木の枝本来の色を失うことで現れたもの。生きていたときの様々な個性は、もはやここには無い。有機物から無機物へと変化して行く過程のひとコマ。冥土の旅の、賽の河原のような光景。





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